2024年に開催した「第9回タオのお話会」の内容を一部修正して書き下ろしたものです。
子どもは親を選んで生まれてくる。
そんな話を聞いたことがある人も多いと思う。
産婦人科医の研究や報告もあるし、生まれてくる前の記憶を語る子どもたちの話も少なくない。
では、本当にそうなのだろうか。
正直に言うと、タオはこの問いに直接答えていない。
タオは驚くほどシンプルである。
物事や宇宙の原理原則を語るが、「こういう場合はどうなのか」という細かな解説はほとんどない。
だから今日の話は、タオがどう考えるかというより、僕がどう考えるかという話になる。
ただ一つ言えるのは、タオでは水や幼い子どものあり方が繰り返し語られるということだ。
だから僕は、生まれてくる前の記憶を語る子どもの話には耳を傾ける価値があると思っている。
大人になると、どうしても色々なものが加わる。
価値観や観念や情報である。
なんとか星から来たとか、自分には特別な使命があるとか。
もちろんそれらを否定するつもりはない。
ただ、子どもの話はもっとシンプルであることが多い。
うちの娘は、生まれてくる前の記憶を昔から話してくれる。
生まれる前に母親の性格を知っていたそうだ。
そして、そのお母さんが誰と結婚するのかも見えていた。
つまり僕である。
その様子を見て、「この人たちのところに行こう」と思ったという。
そこに行きなさいとも言われたそうだ。
誰にかと聞くと、神様だという。
神様とはどんな存在なのか。
娘は、生まれたい子のお世話をする、みんなのお母さんみたいな人だと言う。
さらに話を聞くと、そこにはうちの犬のポエポエもいたそうだ。
魔法の野原みたいなところに入った瞬間、自分は人の姿になり、ポエポエは犬の姿になった。
その前は、形のない意識だったという。
二人で遊びながら、生まれてくる準備をしていたらしい。
そして、お母さんはお酒が大好きで変わった人だということも知っていた。
父ちゃんのことも見えていたという。
その上で、この人たちのところに生まれて、色々な体験をしたいと思った。
娘の話は本当にそれだけだった。
特別な使命の話は出てこない。
地球を救いに来たという話も出てこない。
ただ、この人たちのところで色々な体験をしたい。
それだけである。
だから僕は、「親を選んで生まれてくる」という話を聞いたとき、少なくとも娘の話や様々な調査を見る限り、そういうことはあるのかもしれないと思っている。
ただし、すべての子どもがそうだと断言するつもりはない。
分からないこともある。
けれど少なくとも、そう語る子どもたちは存在する。
すると次の疑問が出てくる。
もし親を選んで生まれてくるのなら、なぜ過酷な環境を選ぶのだろう。
なぜ虐待する親のもとに生まれるのだろう。
なぜ戦いの最中の国に生まれるのだろう。
なぜ生まれてすぐに命を落とすような環境を選ぶのだろう。
人間的な感覚では、理不尽に思える。
わざわざそんな場所を選ばなくてもいいではないかと思う。
けれど娘の話の中には、生まれたい子のお世話をする「みんなのお母さんみたいな人」が出てくる。
その存在が「そこに行きなさい」と言うのである。
だとしたら、その存在は「あ、ごめん。間違えた」と言うだろうか。
僕にはそう思えない。
だから、その子なりの理由があるのかもしれないと思う。
もちろん、その理由は生まれた後の本人にも分からないかもしれない。
けれど理由がないとは言い切れない。
そして僕は、生まれる場所だけではなく、生まれる時代も選んでいるような気がしている。
そう思うのは、以前長崎県の大村湾を訪れた時のある体験のためだ。
隠れキリシタンの教会や洞窟を訪ねて祈った時、不思議な感覚があった。
今ここで祈ることで、今につながっている過去を癒すことができるのではないかと思った。
江戸時代に迫害を受けた人々の苦しみに、今この瞬間から触れることができるような感覚だった。
根拠はない。
けれど、その時僕は、時間とは過去から未来へ一直線に流れているのではないと思った。
今につながっている過去があり、今につながっている未来がある。
だから今が変われば、未来だけでなく、今につながっている過去も変わるに違いない。
そんな感覚だった。
もしそうだとしたら、生まれる場所だけではなく、生まれる時代も選ぶことができるのかもしれない。
令和に生まれることも、江戸時代に生まれることも。
僕たちが考えている以上に、きっと時間は自由なんだろう。
もちろん、これはタオが説明している話ではない。
僕自身が感じたことである。
ただ、「親を選んで生まれてくる」という問いを考えていると、時間というものまで含めて考えざるを得なくなる。
結局のところ、この話で本当に大事なのは、生まれる前にどこにいたのかではない。
なんとか星から来たのかどうかでもない。
そういう情報は、今を幸せに生きるために必ずしも必要ではない。
必要なのは、自分が今いる環境に意味があるかもしれないということだ。
自分だけで決めたのではなく、みんなのお母さんみたいな存在と一緒に決めたのかもしれないということだ。
そう考えると、人生の見え方は少し変わる。
苦しい経験も、失敗だったとは言い切れなくなる。
そこにどんな意味があるのかは分からないけれど、そういうことも含めて体験したくて来たのだろう。
子どもたちの話を聞いていると、そんなふうに思う。
そしてその動機は、僕たちが考えるよりずっと軽やかなものなのかもしれない。
特別な使命ではなく。
豊かな体験をしたい。
ただ、それだけなのかもしれない。
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