性愛-恋愛はエネルギーを下げるのか?

2024年に開催したタオのお話会8回目の内容を、一部修正して書き下ろしたものです。

 

今日のテーマは性愛。

ある女性リスナーからボイスメッセージをいただいた。気になる異性がいる。その方が言うには「恋愛はエネルギーを下げる。性的な関係は禁忌だ」と。

そのことに違和感を持ったという内容だ。

タオ的に内容を掘り下げていこう。

ここでいう「タオ的」とは、私のフィルターを通した見方であって、厳密なタオイズムの考え方ではないことを言っておく。

 

タオが性愛を扱う理由

さて、タオの世界には「房中術」という技法がある。「房中」とは寝室の中のこと、つまりセックスのことだ。

歴史的には中国の皇帝が、自身の氣を高めるために用いた独特の技法として記録されている。

タオは性愛を禁忌としない。むしろ、オーガズムは人の心身を大きく変容させるという立場をとる。

オーガズムは肉体を変容させていく。そのために欠かせない役割を果たすという考えだ。

 

氣を失う二つの経路

タオの修練は「氣を養う」ことを目的とする。その氣を失う大きな要因の一つが、男性では射精、女性では経血だ。

男性は射精によって氣を失う。だからタオでは「射精をしないオーガズム」を練修する。江戸時代の蘭学者・貝原益軒の言葉「接して漏らさず」(異性と体を交えても射精はするな

という教え)もタオの文化と趣旨を同じくするものだろう。

タオの修練では、男性は睾丸の鍛錬と射精しないオーガズムを練習していく。射精を目的とするのではないセックスの仕方を、体で覚えていく。

女性の場合は、タオの修練を続けていくと、経血が少なくなっていくということが起こるようだ。

 

エネルギーを回復させる二つの方法

自分のエネルギーが大きく落ちた時、タオ的に回復させる方法がある。

一つは自然界のエネルギーに触れること。湧水に足をつける、海に入る、森林浴や樹林気功。自然界の氣を直接体に取り入れる。

もう一つが、性行為だ。

ただし、それは一般的に思い描かれている性行為とは根本的に違う。

 

世の中の男性が知らないこと

ほとんどの男性はポルノから得た知識でセックスをしていると言っても言い過ぎではないと思う。射精をゴールとする行為だ。そこには、お互いのエネルギーを高め合うという視点は見当たらない。

タオと同じように、伝統的な実践哲学タントラの考え方では、性的エネルギーを交流させる時、男性は余計なことをしない。主体になるのは女性だ。男性はただ自分の男性エネルギーを静かに差し出すだけ。女性はそのエネルギーを自分でつかまえて、自らオーガズムヘと昇っていく。男性はそれをただ観察するだけだ。

少なくともタオやタントラの視点では、性行為はエネルギーを失うものではなく、高め合うためのものとして扱われる。

 

迷走神経とオーガズム…科学が証明したこと

西洋医学の研究が面白い事実を示している。脊髄損傷した女性がオーガズムを感じられるかどうかを調べた実験があった。結果は、感じることができた。

つまりオーガズムの信号は、内臓のネットワーク、迷走神経を通っていることが証明されたわけだ。

タオでは各内臓をエネルギーセンター、チャクラ的な役割をすると考えた上で、内臓を養生し活性化させていく。そこに迷走神経が走っている。オーガズムはその回路を通る。

セクシャルなエネルギーは強力なものだ。だからこそ、長い時代にわたってタブー視され、近づけないようにされてきたのかもしれない。

 

恋愛を避ける本当の理由

「恋愛はエネルギーを下げる」という考え方が生まれる原因は、おそらく次の三つがあるのではないか。

一つ目は不健全なポルノの影響。 嫌悪感を伴うような体験が性そのものへの拒絶に変わる。

二つ目は精神的な抑圧。 何らかの理由で性的なものを避けてしまっている。

三つ目は、恋愛には所有と執着がつきまとうという認識。 「自分の彼女」「自分の奥さん、旦那さん」、恋愛は相手を自分のものとして縛ろうとする感情を引き出す。そのことから、恋愛を遠ざける。

さらに言えば、射精によってエネルギーを失うという感覚を持っているなら、それはタオ的には正しい認識だ。問題はその先、だからこそ射精をしないオーガズムを学ぶ、という視点があるかどうか。

 

恋愛は執着を手放す道場

恋愛を通して、自分がどれほど執着しているかが見えてくる。「自分のものにしたい」「こうあってほしい」「こうしなければならない」

恋愛は人間の中にある感情的な執着を、これでもかと引き出してくる。

だから恋愛や結婚は、執着を手放すための最良の練習の場でもある。その意図を持って臨むかどうかで、経験の質はまったく変わる。

 

 

本来のセックスを学ぶ機会が必要

思春期を迎える男の子がセックスについて得る知識は、ほぼポルノだけだ。そこには、お互いのエネルギーを高め合うという視点はないだろう。

房中術やタントラ、伝統の中にある叡智を学ぶ機会が、本当は必要だ。

タオ的なパートナーシップの意義とは、こうした学びを共に深めていくことにある。

性愛は本来、人間にとって自然な営みである。しかし現代社会は、それを過剰に管理し、タブー化し、語ることすら難しくしてしまった。

本来の性行為がどれほど素晴らしいものか。それをもっと多くの人が知るべきことだと思う。

恋愛も性愛も、人を縛るものにもなれば、人を自由にするものにもなる。

問題は行為そのものではない。

そこにどんな意識で向き合うかではないかな。

 

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