評価されたい病〜自分の力を明け渡すな〜

タオのお話会 第6回目の内容を書き下ろしたものです。

 

前回のお話会では、承認欲求について取り上げた。

「承認欲求は余計なものだ」という考え方があるが、タオの世界観を通して子どもたちを観察してみると、少し違う景色が見えてきた。

 「みて!みて!すごいでしょ!」とアピールする子どもたちを見ていると、相手の反応を待つ前にすでに顔が輝いている。

「自分にできた、やったー」という喜びがすでに内側で完結していて、声に出すのはその溢れたものが外に出てきているだ。

起点は完全に内側にある。

彼らは、内なる喜びを起点に動くという順番を、ごく自然に生きている。

そう解釈すると、承認欲求は必ずしも余計なものではなく、何がその起点となっているかが大切なのだということが見えてきた。

 今回はその話をさらに深掘りして、「人の反応や評価を気にしないこと」について考えていきたいと思う。

 

SNSが作り出した「グッドボタン」の罠

私たちは今、人からの評価をものすごく気にする社会の中に生きている。

空気を読むことが求められている。

流行りのSNSは、まさにそのための仕掛けになっている。

「高評価・グッドボタンを押すこと」を求め、それが収入にもつながってくる。

そういう仕組みが、私たちの日常のあちこちに埋め込まれている。

 では、そのグッドボタンを他人からもらうことを、自分の喜びの源泉にしていたらどうなるか。

グッドボタンが押されれば嬉しい。押されなければがっかりする。

自分の心が、他人の反応によって揺れ続けることになっていく。

他人からのグッドボタンではなく、内なる自分からのグッドボタンにフォーカスする。

それが今日お伝えしたいことだ。

 

実話から考える:どんな反応を期待する?

ここで、私の身近で実際にあった出来事を紹介させていただきたい。

ある日炎天下の道端で、1人でよぼよぼと歩いていたおばあさんが、神社にたどり着く手前で転んで動けなくなっていた。

それを目にした私の妻は、おばあさんを自分の車に乗せて自宅まで送り届けた。

滅多に会えない海外からのファミリーとの約束時間に遅れそうだったにも関わらず。

その後、急いでその友人家族との待ち合わせ場所に向かったが、すでに電車に乗って帰ってしまっていた。

さて、あなたが妻の立場だったとして、家族にそのことを話したとき、どんな反応を期待するだろうか?

 

A: 大切な用事だったのに遅れることになった、とがめられる

B: 「他に任せられる人はその場にいなかったの?」と言われる

C: 「そっか、仕方ないね。おばあさんをそのままにしとけないもんね」と言われる

D: 「さすがだね。いいことしたね」と褒められる

 

きっとDを望むのではないか?。

でも今日お勧めしたいのは、どんな反応だったとしても、それをあまり気にかけないことだ。

ネガティブな反応は気にしないでポジティブな反応だけ拾う、というやり方ではなく、そもそも人の反応を自分の喜びの源泉にしない、というあり方そのものだ。

 

神社に行った、その理由

この話にはまだ続きがある。

妻は、おばあさんを自宅まで送り届けたあと、そのおばあさんが行こうとしていた神社へ、おばあさんの代わりに足を運んだ。

「行った方がいい気がする」という、内なる声に従って。

おばあさんに報告するわけでもない。誰かに見られているわけでもない。一見すると、まったく意味のない行動だ。

でも妻は、清々しい表情で「言ってよかった」と帰ってきた。

 その姿を見た時、「この人は、自分の声をちゃんと拾っている人だな」と思った。

人からの評価や喜ばれることでもなく、ただ自分の内側からのインスピレーションを優先して動いている。

これが、内なる自分からのグッドボタンをもらえる生き方だろう。

 

プランAとプランB

ここで「何が起点となっているか?」という視点で行動を考えてみたいと思う。

私たちの行動には、必ず何かしらの起点(動力源)がある。

その起点が「外」にあるか、「内」にあるか。これがプランAとプランBの違いだ。

プランAの起点は「外」にある。他人からの評価、感謝されるかどうか、社会的な期待、「やらなければならない」という義務感や恐怖感。それらを動力源にして行動する生き方だ。

私たちのほとんどはこのエンジンを搭載して育ってきた。

川上に向かって、オールを持って一生懸命に船を漕いでいくようなものだ。

 一方、プランBの起点は「内」にあります。うちなる自分からのインスピレーション、直感、衝動だけを動力源にして動く生き方だ。

タオの世界観を通して見ると、川上ではなく下流に向かって、景色を見なが舟をただ浮かべて流れていく、そんな生き方が見えてくる。

下流こそが、豊かな海につながる方向だ。

 大切なのは、プランBは「努力しない生き方」ではないということだろう。

私の身近にいる、自分のグッドボタンだけで動いている人たちは、ものすごく活動的だ。

でも本人たちは努力とは感じていない。内なる声に従って動いていたら、勝手に体が動いているだけだから。

行動の量ではなく、その起点がどこにあるか。

それがプランAとプランBとの大きな違いだ。

私自身、小さい頃から「努力しろ!根性出せ!頑張れ!」と叩き込まれてきた世代なので、なかなかプランBに乗り換えられないのはよく分かる。

プランAで成功した経験があればあるほど、そちらに勢いがついてしまう。

でも、タオの世界観を通して見ると、行動の起点を内側に移すだけで、もっと心地よく、もっと笑顔で進めるもう一つの方法がある。

 

無為自然という言葉の本当の意味

 老子の言葉に「無為自然」というものがある。

「無為」と言うと、何もしないという怠け者の哲学のように誤解されがちだが、そうではない。

「こざかしいことをするな、作為的なことをするな、ただあるがままにいなさい」という意味だ。

 あるがままにいなさい、というのは、自分の内側からの衝動・インスピレーション・直感に従って行動しなさい、ということ。

無為自然とは、超合理的な行動主義。目に見えないものを頼りに、自分の本当の道を進んでいく生き方だ。

自分を自分自身のインフルエンサーに

タオの世界観では、丹田(おへその下)で発動する「氣」は、知性と意識を持った存在だ。

今この瞬間に迷っていたり自信が持てなかったりする「今の自分」とは別に、完全なる知性と意識を持ったエネルギーが自分の中にある。直感はそこからやってくる。

インナーセルフ、ハイヤーセルフ、内なる自分。呼び名はいろいろあるが、そこにアクセスするための代表的な方法が、呼吸だ。

お腹の底にゆったりと呼吸を通すこと。これは赤ちゃんの呼吸、まさしく幼子の呼吸。

 YouTubeを開いていろんなインフルエンサーの語りを聴くのもいいけれど、もっとも大切なインフルエンサーは自分の中にいるんだ。

自分の力を、自分以外のものに明け渡さない。自分の声、内なる自分からのグッドボタンをもらえるように行動していく。

それが最も自然に、タオを生きる道なのだろう。