承認欲求とは何か?

 

 

2025年5月に開催した「第5回タオのお話会」の内容を、書き起こしたものです。

 

承認欲求は厄介な存在か?

「承認欲求」という言葉に、あまりいいイメージを持っていない人は多いかもしれない。

自己肯定感が低いために、他人から認められたいという意識が過剰に働く。

そんなふうに語られることが多い。

でも本当に、承認欲求は厄介な存在なのだろうか。

今日はそんな問いから始めたい。

 

タオに最も近い存在

老子が残した『道徳経』八十一章の中に、繰り返し登場するたとえがある。

それは水と赤ちゃんだ。

タオとは…

命の根源。
源泉。
愛そのもの。
私たちが来た場所。
そして帰る場所。

そのタオに、このこの世で最も近いのは水と赤ちゃんだ、と老子は言う。

だとすれば、小さな子どもたちは、大人が大いに学ぶべき先生だ。

子どもは、初めてできたことを親に知ってほしがる。

認めてもらいたがる。

褒めてもらうと、とても喜ぶ。

承認欲求があるどころではない。

承認欲求の塊のように見える。

だとすれば、その承認欲求は本当にネガティブなものなのだろうか。

 

承認欲求モンスターの大人と子どもの違い

大人の承認欲求モンスターと呼ばれる人たちは、他人から認めてもらうことを、唯一、あるいは最大の喜びとしている。

 

だから、自分が認められるに値することを示すために、マウントを取りたがる。

その背景にあるのは、認めてもらわないと自分の存在価値を自分で認められないという不安や恐怖だろう。

認めてもらえないと不安になったり、恐怖を感じたりするんだと思う

一方、子どもたちはどうだろうか。

自分の喜びをまわりと共有したい。

お父さん、お母さんと共鳴したい。

それだけではないだろうか。

恐怖や不安から認められたいのではない。

喜びの表明だ。

表明して、それが親と共鳴することを確認している。

認められなかったとしても、それだけだ。

恐れることでもない。

傍から見れば、承認欲求モンスターと子どもの承認欲求はよく似ている。

でも中身はまったく違う。

ひとつは不安から生まれる。

ひとつは喜びから生まれる。

似ているようで、まったく違う

 

大人の承認欲求を子どものそれに変えることはできるか

だとすれば、大人の承認欲求も子どものそれに変えてしまえばいいのではないか。

他人から認めてもらうことを唯一の喜びにしない。

最大の喜びにしない。

自分の内なる喜びを見つける。

そして、それが周囲に共鳴するかどうかを確認する。

承認欲求をそう捉え直してみる。

そうすれば、承認欲求はあってもいいんじゃないか。

「こんなことができた。」

そう話しをして、

「すごいね」

「よくやったね」

と言ってもらえたなら、

「あ、共鳴した。ありがとう」

それだけでいい。

もし何も返ってこなくても、

「あ、共鳴しなかったんだな。オッケー、次へ行こう。」

それだけだ。
人から認められることを喜びのリソースにしない。

認められないことを恐怖のリソースにしない。

ただ表明する。

ただ確認する。

それだけだ。

 

どんな時でもフォーカスはただひとつ

では、承認欲求モンスターのようなエネルギーを向けてくる人に対しては、どうすればいいのだろうか。

受け止めようとすると苦しくなる。

うまく受け止められない自分を責めることになる。

心の中にダメージが蓄積していく。

だから受け流す。

あの人の心は、不安や恐怖に支配されているんだ。

そう思って受け流す。

受け止めることにフォーカスしない。

自分がタオと繋がっているかどうかにフォーカスする。

その場にいるのが辛くなったら、

トイレに行けばいい。トイレはレストルームだ。心と体を整える静かな空間だ。

そこで深呼吸をする。

本当の自分に繋がり直す。

そして戻る。

自分がタオと繋がっていれば受け流せる。

自分の心が本当の自分に繋がっていれば受け流せる。

何かに動揺してしまう。

ちゃんと向き合えない自分を責めてしまう。

そんな時は、本当の自分との繋がりが途切れているサインだ。

だからフォーカスすることは、どんな時でもただひとつ。

自分がタオと繋がっているかどうか。

 

ネガティブな感情は大事なサイン

不安。

恐怖。

怒り。

嫉妬。

そんなネガティブな感情が湧いてきた時も同じだ。

それらは否定するものではない。

本当の自分からズレていますよ。

そう教えてくれている大事なサインだ。

だからすることはただひとつ。

本当の自分に繋がり直すこと。

呼吸をお腹に通す。

美味しい水を飲む。

汗をかく。

散歩する。

自然の中に出る。

方法はたくさんある。

でも複雑なものの中にはない。

シンプルなものの中にある。

ピュアなものの中にある。

 

子どもから今日も学ぶ

『タオの子育て──子どもを育て、親を育てる81章』第55章より

 

〜子どもには学ばなければならない大切なことがある。

しかし同時に、子どもは大切なことを教えてくれる。

彼らは何を教えるのだろうか。

どうやって気づきを周囲に向けるのか。

どうやって疲れを知らずに一日中遊ぶか。

どうやって一つのことを手放し、次のことに移るか。

こうして賢い親は子どもから学び、毎日若返っていく。

彼らがそれをあなたに教えるまで見守るならば、どんなに人生は幸せになるだろうか。

今日は彼らから何を学ぶ?〜

 

子どもたちが、「できたよ」と言った時、その心の中で何が起きているのか。

静かに観察したい。

こんな幼い子どもから、大人が学ぶことなんてあるだろうか?

そう思うのは簡単だ。

でも老子はそう考えなかった。

子どもたちから学ぶことはたくさんある。

親が思っている以上に、子どもたちは大人だ。

体は小さいけれど。

 

物事を超シンプルにとらえる

どんな状況でも。

どんな相手に対しても。

フォーカスはただひとつ。

自分がご機嫌でいること。

自分がタオと繋がっていること。

子どものように。

水のように。

シンプルに生きる。

不安や恐怖に支配されない。

ただ表明する。

ただ共鳴するかを確認する。

承認欲求モンスターを恐れない。


余計なものは何もいらない。

それがタオの世界観なんだ。

あなたはどう思う?