2025.8に開催した、タオのお話会第4回目のエッセンスを書き起こしたものです。
「幽霊はいないんだよ。」
そう娘に言ったら、即座に返ってきた。
「幽霊はいるよ」と。
そうか。ではその「いる」のは、何なのか。
そこから始めよう。
幽霊の定義
まず定義をはっきりさせておく。
ここで言う幽霊とは、魂の故郷に帰ることができず、自分の意思や望みに反して、この世を彷徨い続けている魂のことだ。
この定義の幽霊は、本来のタオの世界観にはいない。
タオの世界観は超シンプルだ。私たちの魂はタオから来て、タオに還る。
例外なく、全員。
自死したとしても、供養されなくても、立派な戒名がなくても。
お墓を建ててもらえなくても。
みんな、自動的にタオに還る。
何を見たのか?
私も何回か見ている。
例えば、エレベーターに乗る時。目の前でおじいちゃんが乗って、さっとドアが閉まった。
あ、乗り遅れた。
ボタンを押して開いたら、誰もいない。
そういう不思議なことを、何度か経験した。
あれは幽霊だったのか?
本来のタオの世界観では、あれはその人が生きていた時の、残っているエネルギーだ。ホログラムのようなものだろう。
だとしたら、魂が残していった香りのようなものを、私たちが姿形として認識しているだけだ。
病院のベッドで長く苦しんでいた人が、その場所に縛り付けられた幽霊になる、ということはない。
苦しんでいた時のエネルギーが残っていて、それを「幽霊」として認識しているにすぎない。
ディズニーランドのホーンテッドマンションのアトラクションに乗ったことはあるかな?
あの館に見える幽霊たちはホログラムだ。
現実もそういうものだと、タオの世界観を通して感じている。
幽霊のお役目
さて、ここからが本題だ。
幽霊の話をしているようで、私はずっとこの話をしている。
私たちが普段感じている恐怖や不安は、全部自分が作り出したもの、実態のないものだ。
成仏できない魂はいない。それが分かれば、夜トイレに一人で行くときにビクビクする必要はない。
お墓の横を通るときも、見えるかもしれない何かを怖れる必要はない。
自分が死んだとき、ちゃんと供養してもらえなかったら成仏できないかもしれない、と心配する必要もない。
恐怖と不安は、自分の可能性を制限する。そしてそれは、人をコントロールするための道具となる。
この星では長い間、それが行われてきた。
宗教もその道具として使われてきた。「ちゃんと供養しなければいい所に行けないかもしれないぞ」「生前の行いによって地獄に落ちるぞ」という形で。
学校教育もそうだと思う。
「勉強しなければいい学校に行けない」「いい学校に行けなければいい会社に入れない」「いい会社に入れなければ安定した収入が得られない」。将来の不安で子供たちの行動をコントロールする。
ほとんどの会社組織も同じだ。
ライバル企業に負けること、去年より営業成績が落ちること、給料や待遇が下がることを恐怖として使い、人をモチベートする。
これら全部、同じ構造だ。
恐怖と不安で人をコントロールする。
タオの世界観はその真逆だ。恐怖も不安も、感じる必要のないもの。
努力も根性もガンバリズムもいらない。
タオが宗教を生まなかった理由
老子の思想は81篇の詩として残ったが、宗教にはならなかった。
なぜか?
こんなにシンプルで自由な考え方は、恐怖と不安で人を支配するための道具として使えなかったからではないかと思う。
道教という宗教が中国にあり、タオと結びついているように見えるが、道教とタオは全く別物だ。
道教を開いた人がタオの考え方を拝借し、老子を勝手に神として祀りあげたのであって、老子は道教の始祖ではないし、宗教的な教義も宗教そのものも作っていない。
私はタオの世界観を通して、人生をもっとシンプルに見ている。
生きて、経験して、そして還る。
何かを持ち越したり、宇宙からテストされたりすることは、本来ないんじゃないかと思っている。
地震や台風などの自然災害も、タオの世界観では自然の揺らぎ、バランスを整えるための動きであって、それ以上でも以下でもないだろう。
大いなる存在が人類を試しているわけでも、ふるいにかけようとしているわけでもない。
「人類をふるいにかけようとしている」という考え方も、恐怖によるコントロールだ。
ジョン・レノンが歌ったように、タオの世界観には天国も地獄もない。ただ空が広がっているだけ。
私たちはタオから来て、タオに還る。ただそれだけ。
もしかしたらブッダもジーザスも、本来は同じことを言っていたのかもしれない。
天国も地獄もない、みんな光から来て光に還ると言ったんだと思う。
それなのに、余計な虚構を作り上げ、それを真実だと思い込ませるような仕掛けが、いつの間にか至る所のあるんだ。
お墓参りの意義
実は、お墓参りはとても大事だと思っている。
ただその意義は次の一点だけだ。
今自分がこうしているのは、タオに還ったご先祖様、おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さんのおかげです、という感謝の気持ちを持つこと。自分を感謝のバイブレーションで満たすためにお参りに行く。
それだけだろう。
先祖が供養を必要としているわけでも、成仏を助けに行くのでもない。
私は27年前に父を亡くしたとき、隣にいた親戚のおじさんに「戒名がないとだめだぞ、いい所に行けないぞ」とささやかれ、高い金額を払った。当時の自分はまだこの世界観を採用していなかったから、そうしてしまった。今だったら、迷わず戒名なしにする。
父ちゃん、それでいいよね?
幽霊はいるのか?
それはわからない。ただ、私は幽霊を怖がる必要はないと思っている。
本当に怖いのは幽霊じゃない。恐怖にコントロールされることだ。
勉強しないと終わるぞ。
老後は破綻するぞ。
競争に負けたら価値がないぞ。
供養しなければ成仏できないぞ。
もっと努力しろ。
もっと頑張れ。
もっと不安になれ。
私たちは生まれてからずっと、そう言われ続けてきた。
タオはその反対側に立っている。
怖がらなくていい。
くつろぐことがタオとの繋がりをひらく
タオの世界観で大切なのは、頑張ることではなく、くつろぐことだ。
「こうしなければならない」
「こうしてはいけない」
「人と同じでなければならない」
そんな力みが、タオとの繋がりを妨げる抵抗となっている。
くつろいだ状態のとき、人は直感やインスピレーションを受け取りやすくなる。
あなたが道を探すのではない。道があなたを見つけてくれる。
タオの世界観ではそれを無為自然という。
道があなたを見つけてくれる
呼吸を深く、お腹の底に入れよう。
赤ちゃんのような深い呼吸を思い出してほしい。
そして美味しいと思いながら、ゆっくりたっぷり水を飲む。
呼吸を深くすると、自然と身体はゆるみ、頭の中のノイズも静かになる。
水は、自分の中にいらないエネルギーを出してくれる。
その状態に近づくほど、自然と流れを感じ取れるようになる。
この世界観を採用するかどうかは、もちろんあなたの自由だ。
ただ、私はお勧めする。
この世界観はとっても自由になることができる。
恐怖と不安で人をコントロールする世界からは、もう降りていい。
くつろぎながら、楽しみながら、本来の道にたどり着くことができる。
それが、タオの世界観だ。
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