水のように生きる—老子とタオの話

2024年8月に開催した「タオのお話会第1回目」のエッセンスを、書き起こしたものです。

 

 

私たちはずっと、「頑張れ」と教わってた。

努力と、根性と、頑張りで手に入れたものこそ価値がある。
願望は頑張って掴むもの。
学校に入り、社会に出て、パドルを掴まされ、川を上流へ向かって漕ぎ続けるという生き方だ。

学校でも社会でも、「高みを目指せ」と言われ続け、それを目指してきた。

でも私は、ずっと違和感があった。

そんなに頑張り続けなければ、生きていけないものなのだろうか?
そんなに力を入れ続けなければ、人は価値を持てないのだろうか?
こんな緊張感のある日常は幸せか?

気がつくと、呼吸が浅くなっている。
「あれもやらなきゃ、これもやらなきゃ、怒られる、困る」という不安や義務感の中で動き続けている。

でも本来、人間はそんなふうに生きるものだったのだろうかと思っていた。

 

空を見て「きれい!」と感動する。
お水が美味しい。
呼吸が深くできる。
それだけで満たされる感覚。

本当はそういうものを、最初から持っていたはずなだ。

でもいつの間にか、「結果」が一番大事なものになっていく。

本当はそれがやりたくて、楽しくてやっていたはずなのに、先の結果と結びつけ始めると、期待が出てくる。

期待しているのは、未来の結果に対してだ。

そして、その結果が伴っていないことがフラストレーションになる。
その結果自体を、他人のそれと比べ始める。

次第に自己評価が下がっていく。他人からの評価が気になりはじめる。
不機嫌になる。
落ち込む。

未来のために、今を犠牲にし続ける。

2500年前、老子はまったく逆のことを言った。

川を上流へ漕ぐのではなく、水のように低いところへ、低いところへと流れていきなさい。(上善如水)

人間の小賢しい知恵で物事を動かそうとしなくていい。余計な手を加えなければ、物事はおのずと自然な状態になる。(無為自然)

使命感に突き動かされ、社会からの期待を感じ頑張り続けていた私は、ある時この考え方にものすごく救われた。

目標や願望を持つなということではない。
それら叶えることは、人生の醍醐味だと思う。

でも、それらに囚われなくていい。

叶わないことで、自分を否定しなくていい。
不機嫌にならなくていい。

いつかそのうち叶うだろうな、と楽しみに待てる。
そういう状態のほうが、ずっと自然でハッピーだ。

私が今一番大切にしていること。
それは「心地よくいること」だ。

呼吸が深くできる。
ご飯が美味しい。
体をゆっくり動かしてほっとする。
空が綺麗だと感動する。

そういう小さな心地よさの瞬間を、日常の中にたくさんつくること。

心地よい状態にいるときに、私たちはインスピレーションをキャッチできる。

でも、不安や義務感の中で動き続けているとき、インスピレーションは来ない。

だから心地よさの中にいることは、「今さえよければいい」ということではない。

むしろ逆で、今心地よくいることが、未来の可能性を開くための行動につながっていく。

ある意味、超未来思考だと思う。

ネガティブな感情は、「今、真ん中からずれていますよ」という大事なメッセージ。

ずれたら、戻ればいい。
ただそれだけだ。

真ん中にい続けることが大事なのではない。
肉体を持っている以上、私たちは必ず揺れる。

気づいたら、戻る。

呼吸を落ち着かせる。
お水を飲む。

体をゆっくり動かしてほっとする。

ネガティブな感情が湧いてきたらそうして戻る。
戻るたびに、ポイントカードにスタンプが貯まる。

その繰り返しでいいんだと思う。

 

水が流れるように。
自然に生きていける。

そんな時代が来ていると思わないかい?