「意識は脳が作るものじゃない」 ある科学論文の問いかけ

「気」とか「つながり」とか「宇宙と一つになる感覚」そういう言葉を使うと、「それって科学的根拠あるの?」と思うことがある。

逆に、「量子がどうとか」「宇宙の意識がどうとか」と根拠なく言われると、なんとなく信じきれないそう感じることもある。

どちらの気持ちも、よくわかる。


2025年、スウェーデンのウプサラ大学のナノテクノロジー・材料科学者、マリア・ストレンメ教授が、そのちょうど真ん中に立つような論文を発表した。 

普段は物質の最小スケールナノの世界を研究していると思われる人が、なぜか意識という最大の問いに踏み込んだ。それ自体が、すでに何かを物語っているような気がする。


タイトルは「普遍的意識を基底場として量子物理学と非二元哲学をつなぐ理論的架け橋」。 

長い。むずい。中身はもっと長くてむずい。なので、ちょっと要約を試みる。


まず、「意識は副産物」という常識への疑問が投げかけられる。

現代科学の主流は、意識を「脳の神経活動が生み出す副産物」として捉えてきた。複雑な神経回路が情報を統合することで、私たちの「気づき」が生まれるという考え方だ。

これはとても強力な説明で、多くのことを解き明かしてきた。 

でも、この説明では答えられない問いがある。


「なぜ、物理的な脳の活動が『感じる』という経験を生むのか?」


これは哲学で「ハードプロブレム(難しい問題)」と呼ばれ、未解決のまま残っている問題らしい。

「難しい問題」とそのまま名前をつけてしまうあたり、哲学にしては珍しくわかりやすいと思う。


実は20世紀の偉大な物理学者たちの何人かは、意識について非常に深いことを語っている。 

シュレーディンガーは「意識は単一で不可分なものだ」と述べた。

ハイゼンベルクは「観察される前の現実は、可能性の状態として存在している」と言った。

ホイーラーは「観察者なしに宇宙は存在しない」と提唱した。 

ボームは「見えている現実の背後に、より深い秩序がある」と考えた。

みんな、原子を研究しているうちに、なぜか意識の話をしていた。

原子の奥を見つめていたら、気づいたら自分自身を見ていたそんな感じかもしれない。

これらは、スピリチュアルな話ではなく、物理学の中から生まれた言葉だ。


ストレンメ教授の論文は、これらの物理学の知見と、ヴェーダーンタ哲学・仏教の空(くう)・タオイズムの道(タオ)に共通する「意識が根本にある」という視点を、ひとつの数理的枠組みとして統合しようとした。


論文の中心にあるのは、三つの原理だ。

✴︎マインド...形のない普遍的知性。すべての可能性の源。

✴︎意識...気づきの能力。時間・空間・物質がそこから現れる基盤。

✴︎思考...形なき可能性を、個別の経験へと変換するメカニズム。


「これって、タオそのものじゃないか」と私は思った。


「分離」は幻かもしれない。

この論文が最終的に示唆することはシンプルだ。

「あなたと私が別々の意識を持っているように見えるのは、ひとつの大きな意識の場が、一時的に個別化されているからだ」ということ。

これはタオイズムの「道」、仏教の「空」、ヴェーダーンタの「ブラフマン」が何千年も前から語ってきたことと、驚くほど重なる。

いや実はあまり驚かない。当たり前だけど、科学が言語化していなかっただけなんだと思う。 

古代の賢者たちは数式なしに、同じ場所に辿り着いていた。

彼らは、おそらく文系だったのかもしれない。


ただしこの論文は、「科学が意識の謎を解いた」と言っているわけではない。

量子力学の概念を意識の比喩として使っている部分も多いようで、科学者の間でも議論の余地がある提唱だという評価もある。

でもだからこそ、この論文は誠実だと思う。「証明した」ではなく「架け橋を提示した」という姿勢で書かれている。

スピリチュアルな感覚を持つ人も、科学的思考を大切にする人も、どちらも「ちょっと待って、それ面白い」と感じられる場所この論文はそこに立っている。

私も、そんな架け橋になりたいと思っている。


論文URL:

https://pubs.aip.org/aip/adv/article/15/11/115319/3372193

オープンアクセス論文なので、登録なしで読めるはずです。​​​​​​​​​​​​​​​​


写真は、Universal consciousness as foundational field: A theoretical bridge between quantum physics and non-dual philosophy より