失う恐怖、とは何だろう?
仕事とお金を失う恐怖。地位を失う恐怖。信頼を失う恐怖。でも僕はあの時、もう少し深いところにある恐れに気づいた。
「自分が握っていたものが、本当に必要なものではなかったかもしれない。」
これこそが、本当の恐れではないか。
失うことは、外側の出来事だ。でもこの感覚は、僕の内側を直撃した。
それを認めた瞬間、今まで費やしてきた時間、込めてきた情熱、奮闘してきた理由、関わってくれた方々とのかけがえのない日々、今まで積み上げてきた全てが崩れた。
だから人は、形が壊れそうになると全力で守ろうとするんだ。
形を守ることと志を生きることの区別が、もはやつかなくなっているとしても。
僕の場合、反撃の手段は完全に失われていた。守ろうにも、守れなかった。
その無力さが、逆に僕を自由にした。
握っていた手が、強制的に開かれた。そして手を放した時、初めて見えたものがあった。
形がなくなっても、志はここにある。
事業という手段が失われても、問いは消えていない。
僕が二十年以上抱えてきた問いは、形の中にあったのではなかった。僕自身の内側にあった。その問いこそが志だ。それは失われていなかった。
手放すとは、失うことではない。
握っていた手を開いた時、初めて見えるものがある。
あの出来事は、僕にそれを教えた。意志でも修行でもなく、状況が、強制的にそうしてくれた。
次回——内側へ向かった後の歩みと、変容が始まった人たちが教えてくれたことについて。
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