あの時の状況は、意志で乗り越えられたのではない。
あの静けさは、おそらくすでに僕の中に耕されていた土壌から来ていた。
あえて言うとしたら、ひとつはディープエコロジーだったと思う。
すべては繋がっているという考え方だ。人間は自然の一部であり、自然の流れに逆らうことは、自分自身に逆らうことだ。
この感覚は、環境の仕事を通じて僕の中に深く根を張っていた。
流れに逆らえない状況に置かれた時、おそらくその根が僕を支えた。
もうひとつは、タオヨガだった。その当時は健康のための日課としてやっていた。そのおかげで僕は正気を保てたんだと思う。
水のように生きるということ。柔らかいものが、かたいものを超えていくということ。
老子の言葉は、頭で理解するものではなく、身体で理解し暮らしで実践するものだと、ヨガのマットの上で少しずつわかっていった。
完全に手が届かない状況が、逆に僕を解放した。
形を維持できなくなった状況が、形への執着を消した。
土壌とは、危機が訪れた時に初めてその深さがわかるものだと思う。
穏やかな日常では気づかない。嵐が来た時に、根がどこまで張っていたかがわかる。
あの出来事は、嵐だった。
そして僕の根は、想像以上に深いところまで届いていたのだと思う。
次回——内側へ向かった後の歩みについて。
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