森の中でふと自分の中にやってくるもの

森の中で呼吸に集中すると、ふと自分の中にやってくるものがある。

それは「考え」とも違う。考えているわけではないから。

「声」とも違う。聴覚を通してやってくるわけでないし、頭の中で声としてはっきり認識しているわけでもない。

月並みな言葉だと、「直感」とか「ひらめき」とか、スピリチュアル的に言うと「ハイヤーセルフの声」とか言うのかもしれないけどけど、まぁどう呼ぼうとどうでもいいと思う。

そのやってくる何かは、森の中でだけでなく、森から俗世に戻った後にやってくることもある。

森は、そのようなある意味「情報」をキャッチする私たちの感性を敏感にしてくれる存在だと思う。

先日の森でやってきたことは、
「自分を大切にすることと、自分であることを大切にすることは違う」ということ。

森の木々は、とりわけマザートゥリーと呼ばれる存在は、生存競争に生き残った森の頂点ではない。自分の生命力を最大限に発揮しながら利他的でもある。

木々は個でありながら、森全体でもある。

「自分を大切にすることと、自分であることを大切にすることは違う」

この言葉は、何のためにやってきたのかわからない。

今の私に必要だったからなのか、この文章を読んでくださる誰かのために必要だったからなのか。その両方なのか。

本来の森は、神秘的で神聖な場所だ。

森の中での楽しい自然観察会もよいけれど、時には森の中で呼吸深く、自分の内側に意識を向けてみること。それはかけがえのない体験だと思う。